母の声が三度目に途切れたとき、LINEの画面にはまだ「通話中」と表示されていた。こちらの声は届いているらしいが、返事は細切れで、数秒後にまとめて聞こえてくる。ホテルのWi-Fiが悪いのだと思い、窓際へ移動して5Gに切り替えた。通話はいったん戻ったが、VPNが再接続した瞬間、また無音になった。父の退院時間を確認し、迎えを手配しなければならない。あと十五分で空港へ向かう車が来る。
私は海外出張の最終朝を、台北のホテルで迎えていた。
父の退院自体は予定どおりだった。ただ、病院から自宅まで誰が付き添うのか、薬をどこで受け取るのか、玄関の鍵を持っているのは誰かという細かな話が決まっていなかった。
母は長文を打つのが苦手だ。
こういうときはLINE通話が一番早い。
ホテルのWi-Fiは、メールやニュースを見る限り問題なく動いていた。仕事用のクラウドフォルダも開き、航空会社のアプリも更新できた。
不安定なのはLINE通話だけだった。
しかも、VPNを切ると声は明瞭になる。
この違いに気づくまで、私はLINE側を疑っていた。
アプリを終了して開き直し、マイクの権限を確認し、イヤホンを外した。端末も再起動した。どれも一般的な対処としては間違っていない。
LINEの公式ヘルプも、通話が不安定な場合は接続の切断と再接続が繰り返されている可能性を挙げ、Wi-Fiと4G・5Gなど別の回線を試すよう案内している。 (RFC 9000)
そこで、VPNを切ったままホテルのWi-Fiから母にかけ直した。
声は途切れなかった。
次にVPNを接続した。
十数秒後、母の声が機械音のように崩れた。
原因の範囲がようやく狭まった。
LINEそのものでも、母の端末でもない。VPNを通したときに増える経路と、回線が切り替わったあとの戻り方に問題があった。
私は長年使っていた大手サービスを開いた。
アプリには、近い接続先として台湾、日本、香港など複数の候補が表示されていた。サーバー数が多く、公開実績も長い。旅行前に選んだときは、その規模が安心材料だった。
まず「最速」と表示された台湾のサーバーへ接続した。
LINE通話を始める。
最初の一分は問題なかった。
ところが、ホテル内を移動してWi-Fiの接続先が切り替わった瞬間、母の声が消えた。画面上では通話が続いている。VPNのアイコンも表示されたままだった。
数秒後、音声が戻った。
その間に母は、退院後の薬について説明していたらしい。
「今のところ、もう一回言って」
私は同じ言葉を三度目に繰り返した。
別の台湾サーバーへ変更した。
今度は接続直後から声が遅れ、私が話し終わる前に母が返事を始める。会話が互いに割り込む形になり、確認したはずの迎え時間が分からなくなった。
日本のサーバーも試した。
音声は少し良くなったが、ホテルのWi-Fiから5Gに切り替えたところで止まった。VPNアプリを見ると「再接続中」と表示されていた。
大手サービスには、まだ試せる候補がいくつもあった。
それが、かえって判断を遅くした。
台湾の別のサーバーがいいのか。
日本へ戻したほうがいいのか。
接続方式を変えるべきか。
自動選択を信じるべきか。
私は父の退院について話すために電話をしていたはずなのに、いつの間にかVPNの接続試験をしていた。
Appleも、VPNやセキュリティソフトが端末の通信に影響する場合があるとしている。VPNを外すと問題が消えるなら、Wi-Fi全体ではなくVPN側の動作を切り分ける必要がある。
今回の状況は、まさにそれだった。
VPNを切れば通話は安定する。
しかし、ホテルの共有Wi-Fiで仕事のメールやファイルまで無防備に戻したくはない。
必要なのは、VPNを使わないことではなかった。
Wi-Fiから5Gへ移っても、会話を作り直さずに済む接続だった。
同じように、iPhoneがWi-Fiとモバイル通信を切り替えたあと、VPNを手動で再接続しなければ通信が戻らないという利用者の報告もある。
Webページなら、数秒待てば済む。
通話では、その数秒の間に話された内容が失われる。
私は大手サービスの設定を閉じ、旅行前に予備として入れていた小さなアプリを開いた。
国名の一覧から接続先を選ぶ画面ではなかった。
表示されたのは、「何をしたいか」という選択肢だった。
移動中の音声通話に合う設定を選び、接続した。
そのまま母へかけ直す。
「今度は聞こえる?」
「うん。さっきより全然いい」
最初の三十秒は、まだ信用しなかった。
机から立ち、部屋の入口まで歩いた。iPhoneが室内のアクセスポイントから廊下側のWi-Fiへ移る。
母の声は続いていた。
エレベーターへ向かうと、Wi-Fiの信号が弱くなった。
画面上の表示が5Gへ変わる。
一瞬だけ声が薄くなった。
しかし、通話は切れなかった。
「お父さん、十一時半に病院を出るって」
母の言葉を、今度は最初から最後まで聞けた。
兄が病院へ迎えに行き、私は空港へ向かう車の中から薬局へ電話する。家の鍵は母が持っている。昼食は病院の近くで買う。
五分もかからず、必要なことが全部決まった。
通話を終えたあと、LINEのトーク画面へ確認事項を三行で送った。
既読がついた。
これが、最初から必要だった結果だ。
小さなアプリの強みは、LINE専用の機能ではない。
HTTP/3ベースの接続によって、Wi-Fiから5Gへ変わったときも、通信全体を最初から作り直さずに戻れたことだった。
説明はそれだけで十分だった。
ホテルの部屋ではWi-Fi。
廊下では弱いWi-Fi。
エレベーターホールでは5G。
接続環境は変わったが、母との会話は一つの通話として続いた。
その瞬間、VPNを比べる基準も変わった。
それまで私は、接続直後の速さを見ていた。
何秒でサーバーにつながるか。
速度テストで何Mbps出るか。
近い国を選べるか。
LINE通話で重要だったのは、そこではない。
音声が流れている最中にネットワークが変わっても、無音の時間を作らずに戻れることだった。
スマートフォンは動く。
部屋から廊下へ。
Wi-Fiから5Gへ。
駅の公衆Wi-Fiからモバイル通信へ。
そのたびにVPNが接続を作り直せば、画面上では「通話中」でも、相手の言葉だけが抜け落ちる。
大手サービスでは、VPNのアイコンもLINEの通話時間も残っていた。
それでも、母の声は失われた。
小さなアプリでは、回線の移動が会話の中断にならなかった。
通話のあと、私はホテルをチェックアウトした。
ロビーのWi-Fiにつないだまま、兄から届いた父の処方箋の写真を開く。外へ出ると5Gに切り替わったが、画像は途中で止まらず表示された。
車に乗ってから、薬局へLINEで電話した。
在庫を確認し、兄の名前を伝え、受け取り時間を決めた。
ホテル前の混雑した5Gから空港道路の安定した回線へ移っても、この通話は切れなかった。
最初の結果が偶然ではないと分かった。
ホテル、通信事業者、VPN、LINEの内部で行われるルーティングや優先制御を、私は直接観察できない。ただ、端末上で確認できた差は明確だった。大手サービスではWi-Fiと5Gの切り替えごとに音声が失われ、小さなアプリでは同じ移動中も会話が続いた。
大手サービスには、今も分かりやすい強みがある。
接続できる地域は多く、公開実績も長い。独立したレビューや設定情報も豊富だ。特定の国へ頻繁に接続する人には、その広さが重要になる。
一方で、小さなサービスは接続先が少なく、公開実績も短く、独立した評価の数もまだ限られている。
しかし、父の退院を調整していた朝、私は世界中の接続先を必要としていなかった。
LINE通話が途切れず、母の話を一度で聞き取れることが必要だった。
大手サービスは、通話が切れるたびに次のサーバー候補をくれた。
小さなアプリは、候補を選ぶ必要そのものをなくした。
LINE通話がVPN接続中だけ不安定になるとき、見るべきなのはサーバー数でも最高速度でもない。
Wi-Fiが消えたあとも、相手の次の言葉を聞き逃さずに済むかどうかだ。
要点
似た状況で覚えておくべき要点は何ですか?
LINE通話がVPN接続中だけ不安定になるとき、見るべきなのはサーバー数でも最高速度でもない。 Wi-Fiが消えたあとも、相手の次の言葉を聞き逃さずに済むかどうかだ。
読者がよく気にする質問
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似た状況で覚えておくべき要点は何ですか?
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